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今年もいよいよお終い。
昨年に続き、今年もこれまでの中でも1,2を行くくらいめまぐるしく色々なことがあった一年でした。1年前はまだ子どもが居なかったなんてねぇ、もうそんなことが想像つかないです。そんな忙しい一年を振り返ってみたいと思います。
ryuhyo

1月
前年の10月に入籍をして、この1月に細やかながら式を挙げました。
ほとんど身内だけを呼び、披露宴もしない式でしたので、一般的な結婚式と比べると準備や予算は桁違いだと思うのですが、それでもやっぱり準備は大変でした。何度も打ち合わせで会場に行ったり、招待状を作ったり、なんだかんだと走り回っていました。
その日の夜に二人で一息ついていたら、突然停電に見舞われて、冬なのに約1時間も暗い中をキャンドル一つで過ごしたのもいい思い出です。

それともう一つ。
式の直前に人生初のインフルエンザに罹ってしまいました。
1週間位休んでおったのですが、実は奥さんが妊娠したてで、移さないように(奥さんが)細心の注意を払っていました。この時ばかりは自分を責めました。
そんな反省もあり、これ以後職場へ行くときはずっとマスクを付けるようにしました。おかげで今年は体調を崩すこと無く過ごすことが出来ました。もちろん予防接種も受けました。

2月
昨年の11月に人生初のTMのライブへ行き、勢いづいてアリーナ・ツアーも行くことにしました。
その最終日の2/14に神戸へ一人行きました。
仕事で何度か行ったことはあるのですが、ちゃんと遊びに行くのは初めて。といってもライブ行って翌朝神戸のまちなかを走って帰っただけなんですけど。TMのみなさんもいい年になり、ライブをしっかり観ることが出来る機会が少なくなるような気がして、行けるときに行っておこうという思いもありました。

3月
3月の頭から4日間、北海道へ旅行してきました。実質新婚旅行でしょうか。
初めての北海道で選んだのは網走。だいたい「なんで網走にしたん?」と聞かれました。網走監獄が有名ですが、それよりも一度流氷をちゃんと見たいと思っていたので、網走に行くことにしたのです。
ガリンコ号で有名な紋別がありますが、交通の便から網走としました。網走にもオーロラ号という砕氷船があります。
とても運がよく、滞在中唯一流氷クルーズが出来た便を予約しており、少ないながらも流氷の中を船で通ることが出来ました。本当は知床でトレッキングをする予定にしてたのですが、あいにく雪が凄くてこちらは出来ませんでした。
そうそう、初日の羽田から北海道への飛行機が天候不順で欠航になり、一日東京滞在したのも今ではいい思い出です。
そして、旅行から2週間後にまた東京へ行ってきました。TMさんのライブを観にね。
関東方面なんて滅多に行くことが無いのに、月に2度行くなんてね。念願の皇居を走ったり、鎌倉へ行ったりと普通に観光してきました。

4月
4月は色々と環境が変わる時期でした。
今の仕事は変わらずですが、勤務形態を変えました。この頃から周囲に妊娠したことを伝えたので、そうしていくうちに自分が父親になるのかと実感が少し出てきました。この頃からココとは別に日記をつけ始めました。
ココには書けないけども書き留めておきたい事が増えて来始めたのと、モノとして残しておけば無くさない限りは何時でも見ることが出来ますからね。可用性ってやつですね。

5月、6月、7月
出産に向けてじわじわと実感が湧くような沸かないような、そんな3ヶ月でした。奥さんは6月末に産休に入り、いよいよ間近かというそわそわし始めた時期でもありました。

8月
予定日は8日だったのですが、予定よりも約1週間早く息子が産まれました。当日まで陣痛らしい気配がなく、初産ということもあって予定日よりも後に産まれるものと思っていたのだけれど、当日の早朝から陣痛が始まって、あれよあれよとその日の夜22時半前に無事に産まれました。夏男です。
1週間ほどで家に戻って来たのですが、正直なところ、忙しかったのかそうでもなかったのかあまり覚えていません。それだけ怒涛の日々だったのかもしれません。この頃の日記を読んでみると、息子が一晩中起きていたとか書かれていて、全く覚えて居ないことに驚きました。

9月
息子との生活に慣れない日々。何をしても泣かれる毎日が続き、少し参っていた。寝付いてくれないのが本当に辛かった。この時期ばかりは虐待する親の気持ちが少し解った気がした。
そんな時に奥さんが「今の時期は泣くことでしか自己表現ができず、本人も泣きたくて泣いているわけではない。解ってもらいたくて泣いているんだ」というようなことを教えてくれて、それ以後はいくら泣かれても然程気にならなくなりました。

10月
この頃からランニングが出来ない日が多くなってきた。それまでは何も考えずに走っていたけれど、段々と余裕が無くなりはじめてきた。いつかそういう時が来ると準備はしていたので致し方ないと思うところと、ずっと続けて来たことが断たれる寂しさを感じました。
当分の間はじっくり時間をとって何かをすることは難しい。

11月
産まれて100日が経ち、お食い初めのお祝いをした。聞けば私も奥さんもしたことがないらしく、私達の親も初めてのことだった。
この頃から息子が私に慣れてくれたのか、私の顔をみて少しずつ笑ってくれるようになりました。単純に嬉しいですw
首も座り始めて抱きかかえるのも楽になったものです。

12月
外出する機会が少しずつ増え、周りの人たちに可愛がられるようになった。この頃からよく笑うようになり、それは私達だけでなくどんな人に対してもニコッと笑顔を振りまくので、否が応でも可愛がられる子に。
びーびーと泣くこともあるけれど、これまでのように参るほど泣くことは殆どなくなった。それよりも自己主張をするようになり、それとともにあーうーとよく喋るようにもなった。泣くことで自己主張する事が少なくなり、それは助かったけれどわがままな一面も見せるようになり、段々と人間らしくなる姿にほっこりするお父さんです。
そうそう、今年はついに一滴もお酒を呑むこと無く終えることが出来たようです。飲酒を始めて以来、一番長い停酒期間となりました。

それともう一つ。これは続けるとは少し違うんですが、今年は一年間お酒を断とうと思います。禁酒というよりも停酒です。いろいろ思うところあって、アルコールは一切飲まない生活を送ってみようと。そろそろいい歳ですしね。別段お酒がなくてもなんとかなる生活を送っているのでそれほど苦しくないと思いますが、そこを敢えて一切断つという選択をしました。
情報源: 2015年の計 | ニシヒロシマエレクトロン

この当時は書いていませんが、奥さんの妊娠が解って直ぐに決めたことでした。産まれたら良いかという思いもありましたが、それだと締まりがないので一年と期間を決めておいたのでした。
おかげで元気に産まれて来ることができて一安心です。

とまあ、今年の後半はほとんど息子のことしか思い出せません。
子を持つことは本当に大変で、親になって親の凄さが身にしみました。大変なことと表裏一体で楽しいことや嬉しいことも山ほどあり、子に成長させてもらっているという実感をひしひしと感じることが出来ました。

それと引き換えに日々続けていたこと、特にランニングとここの更新ができなくなったのは残念です。どちらもじっくり時間を取らないと出来ないことなので、もう少し時間に余裕ができた時にまた再開しようと思っています。
それまでは子育てに注力する日々が続くでしょう。その合間に何か別なことでもできたら良いなぁと思っていますが、それは来る年に追々考えていきましょう。


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