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点呼のエントリにリンクを貼った『点呼する惑星』特設ページから、更にリンクが貼られている「展開図」という名のページが10ほど有ります。
このアルバムにはライナーノーツが一切なく、曲の解説がほとんど有りません。
それはいつもの事なんですが、こういった解説があると音を立体的に楽しめるのであった方が嬉しかったりします。
その辺りはユニコーンのアルバムの時にも同じように感じておりました。
ということでリンク先の展開図は曲順に並んでいないんですけど、本人の意図を無視しし、予想の独断で並べ替えてみようと思います。


展開図への各リンク先はこちらから。
あくまで文章の内容と音を聴き比べ独断で並べているだけなので、本当は違うかもしれません。
■展開図10(Hard Landing?)

10曲目に出来た曲は重要だ。なぜならアルバムの1曲目に配置されるからだ。9曲目同様、この曲についてじゃべり過ぎるとアルバムがどのように始まるかが分かってしまう。それはリスナーの楽しみを奪うことになる。同時に私が放つ第一矢も台無しにしてしまう。
意外と多くのトラックを使用している。それは前半と後半の質感がぜんぜん違うからだ。そのため、1曲の中に2曲分のトラックがあるという構造になっている。約2分程度の短い曲だ。特筆すべきところがある曲だけに特筆するわけにはいかない。このへんでやめておくことにしよう。
さて、新曲の仕様と展開図はこれで終わりだ。特徴のある曲が多く収録されたアルバムだが、スタッフは次から次へと提出される曲を聴きながらおぼろげなストーリーをイメージしていたと言う。確かにそれはある。しかし、私はそのストーリーを断片に切り刻み分散して配置した。理由はいろいろあるが、まずは音楽として楽しんでもらうことが先決だ。そのため、ストーリーよりも、受け入れやすい曲順を選んだのだ。ストーリーはリスナーの数だけあってよい。そこに私が意図したコアが存在しさえすれば。
さあ、楽しみたまえ。

□展開図9(点呼する惑星?)

9曲目はアルバムの1曲目に来ると思われた。10曲目が出来たところで覆された。この曲がどんな雰囲気なのを明かすと、アルバムがどのように始まるかがバレてしまうので控えめにする。10曲目も同様。
今までのヒラサワ曲には無い感じであることは確かだ。歌の音域も中低域に分布している。アルバム1曲目を引き継ぐように始まる。アルバムの1,2曲目、そしてラストの曲と合わせてアルバム全体の雰囲気をほぼ決定するような役割がある。
ベースと言えるものが存在しない。低音部を引き受けるのは打楽器と管楽器だ。間奏に相当するパートも無い。短めの曲である。
これ以上は黙っておくほうが吉。

■展開図7(人体夜行?)

7曲めだ。リング変調されたシンセサイザーがひとつのフレーズを延々と繰り返す。導入部とは異なるコード進行がかぶさり、「置き去りにして行く」感覚が加味される。夕方的光景だ。
中域で気張るでもなく緩むでもないヴォーカルが加わる。やはりエンディングテーマの佇まいを持った曲だ。
突如無線機からの声が何も知らずに楽しげに過ごす日々の幻影のごとく介入する。次に続くピアノのブレイクが「そんなものはウソだ」と言っているようだ。
「そんなものがウソだということぐらいはじめから知っている、それがどうしたと言うのだ。次へ行くのみ」と言っているかのごとき脱力したサビへと繋がる。
延々と続くリング変調されたシンセサイザーのフレーズを複写したハープが鳴り始める。ティンパニーが主体だったりリズム隊にはいつの間にかオーバードライブされたドラムセットが加わっている。
最後まで盛り上がらない曲である。

□展開図3(Mirror Gate?)

三曲目に出来た曲だ。イントロが21小節もある。その前半はピアノが一人で頑張る珍しい曲だが、補足的にパーカッションと混声コーラスが入る。おとなしい曲ではない。歌に入ると思うと入らない。そのままピアノががんばる。もしもバンドでコピーするとすれば、キーボード奏者はやり甲斐がありそうだ。いったい私は何処に連れて行かれるのだろうと思うようなイントロだ。だが私は何処へも連れて行ってやらない。スケッチの段階で35トラックが使用されている。テンポは130。
一番が終わっても二番に行けない。行けないところを強引に行くと突如オアシスに到着する。こんな所に到着させてしまうと元に戻れなくなる。戻れそうな気配が見えるまで進んでしまう。シャウトだ。ソロでシャウト解禁。そのままAメロをマイナーで、ハモりながら歌ってみる。同じモチーフを歌ったところで戻れないものは戻れない。そんな時に重宝するのがブレイクだ。というか、イントロが有って1番2番が有ったのはむしろこのブレイクのためだ。
再び21小節の導入。後は同じ。
珍しくピアノが頑張る曲だ。その他の楽器は手下のようなものだ。sato-kenはこの曲を聴いて「ケチ!」と言った。なぜなら、ギターを四小節しか弾かないからだ。弾いただけありがたいと思え。
パーカッションにはドラムセットの他、大太鼓、ティンパニ、小太鼓、チューブラベル、ギリギリいうやつ、シャーというやつ、ホイッスルなどが使われている。
出し惜しみするギター終わると、結局ここは何処?という?マークで終わる。

■展開図1(王道楽土?)

一曲目は31のトラックが使用されている。おおざっぱに言うと31個の楽器が鳴っていると思ってもらえばいい。大仰な曲の割には少ない。レコーディングの時には更にトラックがバラされ数は増える。長さは5分を超えるヒラサワ風シンフォニーだ。間奏はギターだ。
この曲はソフトのおまけに付いていたシンセサイザーのチェックをしているうちに出来てしまったものだ。とは言っても、そのシンセは1トラックで同じ事をずっと繰り返しているだけ。オケが厚くなればマスキングされてしまう。近頃の音楽界には冷凍食品が豊富にある。つまり調理済みの音源に加え、メーカーが用意したたくさんの演奏済みフレーズを組み合わせればあっという間に音楽が完成するという便利なパッケージだ。プロ用、しかもプロデューサー用とうたうソフトにさえそんなものが満載されている。便利な世の中だ。誰でも30分あれば流行ものの曲なら作れるだろう。チェックするまでもなく、そういうものはヒラサワ風音楽には使えない。しかし、ろくでもなく隅々までお膳立てされた音源をメーカーが望まない方法で使うのもまた楽しい。
シンフォニー風な編成を追って躍り出るのはP-0でも使った僧侶風ヴォーカルエンジンの歌声。コーラスは自分の声を重ねて作ってあるが、プログレによくある風味だ。レコーディングの際にはこのコーラスだけで更に20トラックは増えてしまうだろう。
ほぼ定番のスタイル。プログレ技満載。

□展開図8(上空初期値?)

8曲目だ。既にレコーディングを中断してライブ関係の作業をしているため、8曲目がどんなだったかが思い出せない。あ、思い出した。構造はシーケンサーを開けて中をのぞくのがめんどくさいので記憶だけで書く。
特にひねくれたところがない、アップテンポの曲だ。自分の声をコラージュしたイントロから始まる。コラージュも白虎野のような変態ものではなく、ごく素直だ。ラジオヴォイスにすると妙に懐かしい感じがする。夕方な感じもする。焼け野原のようなところにぽつんと奇跡的に破壊を免れたラジオがあり、そこからヒラサワの鼻歌が聞こえて来るようだ。
イントロからずーっと思い出してゆくと、それほど素直でもないブレイクに到達した。ヒラサワの曲としては非常に素直だが、世間ではあまりこういうブレイクはしないだろう。と思いつつ。
強い印象を持った曲でもなく、特筆することもないのでこれでおしまい。

■展開図5(聖馬蹄形惑星の大詐欺師?)

5曲めは一風変わった出だしだ。トラック数は多くない。現在のところ28トラックが使用済み。60年代アストロ・サウンド風(一般的にはサーフ・サウンドという。どこが?)のエレキギターから始まる。使ったギターはモズライトだ。スプリング・リバーブのシミュレーターをびしょびしょに効かせたミュート奏法といえば60年代不良の血が騒ぐ?(60年代の不良はこんなとこ見てない)しかし、スプリングが思うようにハネてくれない。せめて Astronauts の Firewaterくらいハネてほしい(そんなの誰も知らない)。ハネを捏造しようとしたが失敗した。(こっから先専門用語有り。解説省略)しかたなしにスプリング・リバーブを更にデジタル・リバーブに突っ込み、プリ・デイレイでハネのニュアンスを作ってみた。私はほんの数小節のためにビンテージものの高価な機材を物色するほどマニアではない。どうせウソの上塗りだ。というか本物である必要などない。こんなもの本物にしたって喜ぶのは60年代の不良だけだ。これでよしとする。
60年代風エレキサウンドが始まるかと思いきや、そうは行かない。それを受け継ぐのはヒラサワの声だ。だがまだ歌ではない。一応あり得ない組み合わせは成功。
60年代風のイントロからそこはかとなく80年代ニューウエーブ風の無難なAメロを歌った後はオペラ風ソプラノへと展開。と、突如70年代硬派プログレ風の展開。なぜかこの部分ヒラサワの声がピーター・ハミル風味を帯びている。
パートごとに10年ワープする変な曲は間奏で60年代アストロサウンドへと帰還する。さて、90年代は出てこないのかというと出てこない。出て来ようがない。音楽の創造は80年代前半で終わっているからだ。あとはいいとこ取りの当て逃げばかり。
さて、30年のサイクルを1曲の中で行ったり来たりするこの曲、全体的な印象としては「わかりやすい」部類に入る。そいういう意味ではわけわからん曲。

□展開図2(可視海?)

二曲目に出来た曲。一曲目より音数は少ないように聞こえるが、スケッチの段階で32トラックを使用している。「美術館で会った人だろ」風のリズム BOXから始まり、男性の「んー」というハミングに続いて、「東方無国籍」風のイントロに繋がる。そのまま歌へと繋がると思わせておいて繋がらない。70 年代風の上昇する変調がかけられたシンセサイザーのスペイシーな発信音と共に音程の移動が非常になめらかなギターが顔を出す。モズライトをボトルネック奏法で弾いたものだ。これまたスペイシーである。
高域と低域を極端にカットされた、俗にラジオヴォイスと呼ばれる処理を施したヒラサワの歌は通信機から聞こえる声のようだ。あるいは、遙かに離れた惑星から、漂流する男の歌声をモニターしている、という想像は有り。いわゆるAメロの後半にはラジオヴォイスとは対照的な、マイクに接近し、ささやくように発声された生々しいコーラスが加わる。
MANDRAKEを除く、P- MODEL、ソロ、とヒラサワ音楽史上初めて登場するボトルネック奏法のギター・ソロ。しかもTALBOではなく、モズライトだ。ボトルネック奏法というのは瓶の首を切断したような筒状の金属やガラスを指にはめ、それを弦の上を滑らせて演奏する方法のことだ。音階が無段階に変化するので、スペイシーな雰囲気がでる。ちょっと間違えるとハワイアンになる。
今確認したところ、この曲は6分を超えている。

■展開図6(Phonon Belt?)

6曲目だ。
スケッチでは26トラックが使われている。空を仰ぎ見るようなフレンチホルンと宇宙船が到着するようなノイズから始まる。イントロを受け持つのは再び登場の僧侶のボーカルエンジンだ。巷のレビューでは、「こんなものいったい何に使うんだ」とまで言われているボーカルエンジンだが、私にとっては魅力的だ。この宇宙船はマントラで飛翔するのだ。(今のうちからこんなことを言ってしまうと歌詞が身動き取れなくなるので、これは言い捨てだ。言い捨て。)
イントロからサビへと向かう流れは非常に素直だ。得も言われぬ懐かしさを感じるサビに続いて僧侶に間奏を担当させてみた。なんとも懐かしい感覚に襲われる。僧侶は「う」から「あ」を経過し、「い」までの母音しか発音できない。それで充分だ。
よく思うのだが、私の曲はほとんどが何かのエンディングテーマのように聞こえる。何かが終わり、良くも悪くも全てを綺麗さっぱり置き去りにして異境へ向かう感覚が目標だったりもする。
サビの繰り返しの後、曲は唐突に終わり、着陸なのか飛び去るのか、そんな余韻を残して終わる。
(今のうちから宇宙船などと言ってしまうと歌詞が身動き取れなくなるので、これは言い捨てだ。言い捨て。)
この時点で曲はすでに8曲が終了している。

□展開図4(Astro-Ho! 帰還?)

4曲目だ。
惑星キンザザを思わせるうらぶれた三拍子。スカスカの音とディストピアの嘆きの人たち。音程が定まらないコーラスはむしろ滑稽だ。この手の音には人間臭さが付着するが、ホワイトノイズのスチームがそれを蒸留する。
低音で歌い始めるヒラサワ。低音だがちゃっかりファルセットを加味する。ファルセットは高い音域が出ないために使われる代替の発声法ではない。
さて、ギターを弾くはめになってしまった。まじめにいい感じに弾くギーター。でも指がマタサキになる、いつもの手口。指が痛い。
私はこういう曲を「箸休め」と呼んでいる。

この後に拡大図として更に解説が深くなってるんですが、ここはさっぱり分からんので皆さんで読み比べてみて下さい。


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